2014年07月07日
この街の通りは
自転車にもなれず、自転車もなかったので、ぼくはとぼとぼと通りの人ごみに混じって歩いた。
とつぜん「風立ちぬ、いざ生きめやも」という詩句が頭に浮かんだ。ポール・ヴァレリーのそれではなく、堀辰雄の『風立ちぬ』の中の言葉としてだった。
白い脚の残像に、小説のあるシーンが誘発されたのかもしれない。
次第に結核が悪化していく若い婚約者。
とつぜん風が立ち、彼女が描きかけの画架を倒してしまう。まだ乾ききっていない絵の具にくっついた枯葉を、彼女は細い指でていねいに取り除いていく。必死で生きたいと願う若い命の残像でもあった。
夏のあいだだけ訪れる人たちで、この街の通りは賑わっている。
蕎麦を食べるために、店先で30分並び、注文してから15分待った。食べるのは3分で充分だった。
神の恩寵は、必ずしも合理的ではないのだ。生きるため、空腹を満たすためには、ときには現代の神と妥協しなければならないのだった。
そば食いぬ、いざ生きめやも!
Posted by hechengni at 17:18│Comments(0)
│miewkri